山鼻地区「開拓」の歴史を感じる2施設!「山鼻屯田記念会館」と「山鼻墓地跡」
こんにちは、えぞまち歴史部です。
北海道の歴史で特徴的なのは「開拓」と「屯田兵」です。現在でこそ札幌は北海道随一ともいえる市街地ですが、北海道への入植が始まった当時は、まさしく一面に原始林が広がる山林や湿地で、それを人の手で少しずつ「開拓」していったわけです。こうした作業に従事しつつ、北海道の地で北方警備に従事していたのが「屯田兵」です。
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屯田兵の役割って?どんな生活をしていたの?
「屯田兵」については、道内に住んでいる方々にとっては学校教育などでも耳にしたことがあるでしょう。「兵」という言葉が付いていることから、兵隊であるということや、兵隊でありながら開拓作業に従事していたということまでは多くの人が知るところです。
実際のところ、屯田兵の従事していた「北方警備」という面では、直接北海道へ外国からの侵攻があったわけではないのですが、屯田兵が北海道の開拓に乗り出してからは少なくとも3度、大きな戦争へ屯田兵が派遣されています。それが「西南戦争」「日清戦争」「日露戦争」です。
特に日露戦争においては、両軍ともに大きな被害が出た「旅順攻囲戦」にも屯田兵が参加しています。なお、西南戦争で戦没した軍人を祀る神社として、同地区にある「札幌護国神社」があります。
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山鼻屯田記念会館の展示
「山鼻屯田記念会館」は、札幌市電「行啓通」の近くにある記念館です。(『行啓通』の名前の由来や『豊平館』などについては、後日別の記事にてご紹介します!)この場所に「山鼻屯田記念会館」がある理由は、隣にある「山鼻小学校」に、かつて屯田兵の練兵場があったことや、通りを挟んだ向かい側の「山鼻公園」に、当時の山鼻兵村の中隊本部があったことにその理由を見出すことができそうです。
当時の山鼻屯田においては、この付近が開拓の中心地であったということですね。この山鼻屯田記念会館には、山鼻地区の屯田兵の生活ぶりや、どのような活動を行っていたのかといった資料が展示されています。
記念館内部の資料の一部です。当時の屯田兵の方々が使っていた道具や服装、写真などの資料が展示されています。
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国道沿いに立つ屯田兵の像、「山鼻墓地跡」
先程の「山鼻屯田兵記念館」から少し足を伸ばすと、国道230号(石山通)沿い、「山鼻日の出公園」には、「山鼻墓地跡」があります。普段生活していると見落としてしまいそうですが、軍服姿で鋤を持った屯田兵の像に気がつけば、ここが山鼻屯田兵にゆかりのある場所であることに思い至ることができるでしょう。
この場所に山鼻屯田兵の墓地跡があるのは、山鼻地区には屯田兵とその家族があちこちに居住しており、それぞれに墓地があったことに由来します。これらの墓地は昭和40年に平岸霊園に移転され改葬された旨が碑に記されています。
おわりに
北海道は本州と比べ、「歴史が浅い」などと言われてしまうこともありますが、日本人にとってほとんど「未踏の地」であった北海道各地を開拓したり、その過程で生じた様々な出来事は、深堀りすればいろいろな発見・学びがあります。
現在では札幌市「中央区」という、いわば「街中」に該当するこのような場所にも、北海道の歴史を感じる史跡があるのは嬉しいことですね。
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