こんにちは、えぞまち歴史部です。
北海道のイメージといえば美味しい食べ物、海産物、または牛乳や乳製品、あるいはとうきびやじゃがいもといった農作物のイメージが強いです。
しかし、日本の歴史を見ると、北海道の超巨大産業として「石炭」は見逃すことができません。
空知地方を中心として、北海道は石炭採掘と石炭輸送の重要な地域のひとつでした。
「炭鉱町」として有名なのは夕張市や三笠市、砂川市などが挙げられますが、こうした地域で採掘された石炭を港湾都市へと輸送するための列車の一大拠点であったのが岩見沢市です。
ここ岩見沢市は、旧国鉄が全国12箇所の「鉄道の町」のひとつとして公認していた歴史もあるのです。
(全国の「鉄道の町」:岩見沢市、追分(安平町)、土崎港、新津市、大宮市、米原町、吹田市、多度津町、米子市、津和野町、直方市、鳥栖市)
岩見沢駅(当時は岩見澤駅)は、駅周辺に市街が形成され、忠別太(現旭川)、夕張、奈江(現砂川)、歌志内、輪西(室蘭)との交通を担っていました。
このあたりに「鉄」や「炭」の陸上輸送拠点として、岩見沢駅の活躍ぶりが想像できます。
さらにその後、1961年には岩見沢駅が函館本線、室蘭本線、幌内線、万字線の4線を捌く操車場が完成し、まさに「陸上交通・輸送の要衝」となったわけです。
そのようなわけで今回、えぞまち歴史部では岩見沢の炭鉱や鉄道の歴史の一端を知るべく、岩見沢市内のいくつかの場所を訪れました!
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日本遺産「炭鉄港」に加わった、岩見沢市「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵」
さて、今回えぞまち歴史部が訪れた最初の場所は、「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵」です。
岩見沢市には何度か訪れたことがあったのですが、この施設については不勉強にてチェックしておりませんでした。
しかし職員の方も、「地元の方でもなかなか気づかれない場合もあるみたいで…」とおっしゃっていたので、これはぜひ多くの方に訪れていただきたい場所です。
「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵」は、JR岩見沢駅の目前にあります。
駅前アーケード街のアクセスしやすい場所にありますので、岩見沢を訪れた際にはぜひ!
○地図
ここでは、岩見沢駅が石炭輸送の陸上拠点となっていた時代に、「旧日本専売公社倉庫」として石炭の一時保管を行っていた石蔵を見ることができます。
この石は札幌軟石を利用しているのだそう!
石蔵は1909年(明治42年)に建築されたもので、内部は二階建て。
二階部分では岩見沢市内外の炭鉱の記憶を伝える模型の展示が行われています。




一階部分では期間限定の展示イベントやライブなども行われているのだとか!
職員の方は非常に熱心に展示物の解説をしてくださいました。
訪れた日はかなり暑い日だったのですが、石藏の中はやはりひんやりとしていました。
可燃物を扱う関係上、温度が上がりにくく万一の炎上の際も被害が広がりにくい素材・建築方法なのでしょうね。


詳細な情報は、「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」様のウェブサイト、および「炭鉄港」のウェブサイトもかなり見ごたえのあるつくりなので、ぜひご覧ください!
ちなみに、石藏の外にはカフェとお土産品の販売コーナーもあります。
○リンク
・NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団 「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」
・炭鉄港 「炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵」
https://3city.net/cultural-property-list/tanko-08/
・炭鉄港
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鉄道レールの加工を一手に担っていた、旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)
さて、岩見沢駅の南側にあった「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」ですが、今度は駅北側に目を移してみます。
するとここには、「旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)」があります。
○地図
この場所は、北海道内各地のJR路線で使われるレールの加工を一手に行う「工場」なのですが、もともとは車両製造と修理のための施設でした。
完成は1899年8月とのこと。壁面にある「五稜星」のマークは、旧北海道炭礦鉄道の社章で現存する唯一のものだそう!
残念ながらこの建物は現役で業務利用されており(!)、内部の見学はできませんが、外観だけでも一見の価値ありです。
・炭鉄港 「旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)」 https://3city.net/cultural-property-list/tetsudo-04/
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岩見沢市指定有形文化財「国兼家住宅」
続けて、こちらは炭鉄の話題からは少し離れますが、岩見沢市指定有形文化財「国兼家住宅」です。
○地図
・国兼家住宅(旧竹野繁次郎家住宅) - 北海道文化資源データベース
https://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/105149.html
この「国兼家住宅」は、岩見沢の材木商をしていた竹野繁次郎の邸宅だそう。
大正期の木造建築で、金沢の町家などにも通じる構造なのだとか。


建材となっている材木は秋田産のスギ・ヒノキといわれています。
こちらも内部の見学はできませんが、住宅が並ぶ通り沿いにポツンと存在する場所で、歩いていると「おっ?」となる風景です。
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最後は…「岩見沢発祥の地」!
この日最後に訪れたのは、「岩見沢発祥の地」です。
○地図
市内を流れる幾春別川の流域にある「岩見沢発祥の地記念公園」のレンガ造りのトイレに、なにやらパネルが…と思い近づくと、「岩見沢発祥の地」の表示がありました。
パネルには「岩見沢のあゆみ」と岩見沢の地名由来、建物のデザインについての情報が書かれています。
確かに北海道の地名はアイヌ語に日本語の漢字を当てたものが多い中、岩見沢は和名ですね。
「岩見沢」の「見」と「沢」について着目すると、「岩が見える沢」という意味かなと思っていたのですが、実はそうではなく!
この幾春別川の川辺で道路開拓にあたっていた工事従事者のために休泊所が設けられており、風呂を沸かして疲れを癒やしていたことから、「ユアミサワ(湯浴沢)」が転訛して「岩見沢」となったといわれているのですね。
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おわりに
今回の岩見沢探訪は限られた場所しか巡ることができませんでしたが、それでも岩見沢の歴史の一端を垣間見ることができました。
とくに炭鉱と鉄道との関係は岩見沢にとって切っても切れないものですね。
次回訪れる際は国鉄万字線 朝日駅跡もぜひ訪れてみたいものです。