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【歴史部】<江別市>江別大火の歴史と「鎮火之碑」について調べてみました

江別市に残る「大火」の歴史を伝える碑

 

 

こんにちは、えぞまち歴史部です。

「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉があるように、日本の歴史では大規模な火災との戦いのエピソードが数多くあります。

江戸の町は多くが木造家屋だったこと、家が密集していたり、「長屋」が数多く存在したこともその理由のひとつですね。

火事が「花」とされたのは、威勢のよい江戸っ子と、火事のときに勇敢に火に立ち向かう「火消し」の姿勢への言及といえるでしょう。

町で火事が起こることで、建物の新陳代謝が進んだり、当時の日雇い人夫、特に大工関連の仕事が発生し、それによって「稼いだ金はその日のうちに使う」という「宵越しの銭は持たない」な生活スタイルができたりと、それ自体が文化の一端を担っていた側面もあるでしょう。

そうは言っても、やはり火事というのは悲惨なできごとであることには違いありません。

今回えぞまちでは、江別市にある火災の記録、「江別大火」の「鎮火之碑」を訪れ、あわせて江別大火の歴史について調べてみました。

 

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「鎮火之碑」は昭和28年の「江別大火」を伝える碑

 

江別大火の歴史を伝える碑が、江別市3条3丁目にある「中央児童公園」の中にあります。

 



この「鎮火之碑」は、昭和28年(1953年)5月23日に発生した大火災を伝えている碑です。

この江別大火は、この公園がある3条3丁目付近から出火し、瞬間風速20メートル近かったともいわれる強風に煽られた炎が、周辺を包み込みました。

 

この「江別大火」の際には、出火地点周辺に防火用水の設備がなかったことや、防火建築の家屋が少なかったこと、そして強風という悪条件が重なってしまい、建物227戸が焼失するという大きな被害が発生したと伝わっています。

 

旧町村農場、「江別昭和の写真展」でも写真が見られます。

この経験から、江別市の消防体制は強化されてきたのです。

 

 

「鎮火之碑」裏面には、建立された日と発起人の名前、そして江別大火の日付が刻まれていますね。

 

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もうひとつの「江別大火」

 

実は江別市では、この昭和28年の火災よりさらに以前・明治時代に、大きな火災に見舞われた経験があります。

それが明治30年(1897年)の8月12日に発生した、現在の条丁目地区にあった旅館から発生した大火です。

このときは、いまだ江別駅前の市街地が形成され始めたころであり、もちろん先の昭和28年に発生した江別大火のころよりも、市街地の規模は小さいものでした。

そのような街の「形成期」に発生した明治時代の「江別大火」は、当時の市街地130戸の建物のうち、105戸を焼尽させ、焼け残ったのは駅前の10数戸のみであったと伝えられています。

なお、このときの火災においても、やはり強風に煽られた炎が建物を襲ったとの記録があるようです。

明治30年の大火を受けて、当時の人々は火災への備えを進め、翌明治31年には、公設江別消防組が発足、江別市消防のはじまりとなったとされています。

さらに、大火が発生したことによって「街路の拡張」が行われました。延焼を防ぐための施策ということですね。

大火前は5間(1間=6尺=1.8182m)であった街路幅を、6間に広げました。
明治30年8月22日の「戸長引継演述書」には、

 

道路沿地主ノ承認ヲ得 則チ各地主ヨリ表口三尺 通該地ニ属スル地積寄付可到筈ニテ 路面壱間ツ々停車場通線ヲ除クノ外総テヲ拡張

 

との記述があるようです。

延焼を防ぐための取り組みは、道路幅だけにとどまりませんでした。

道路沿いの家は、道路ギリギリの場所に家を建てていたのが普通だったのですが、これをそれぞれ三尺ずつ下げて建てるよう協議したり、架橋においても、左右幅5間であったものを、

 

各弐間ツツ拡張シ修築の筈ニ有之

(左右各2間ずつ広げる)

 

というような協議もなされたようです。

しかし当時の建物を持つ人々、とくに、お店を持つ人々のほとんどはこれらの案に反対しました。

というのも、とにかく少しでも店を道路に近づけて通行人を呼び込みたいとの思惑があったのです。

こうした反対もあり、敷地前の空間地の確保は理想通りには実現できなかったようです。

当時の商業を営む人々にとっても、通行人の目になるべく留まりたいというのはお店の死活問題ですから、簡単には同意できないというのも理解できますね。

 

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江別の火災との戦いを伝える碑でした。

 

消防技術や防火設備が整備されつつある現代においても、火災の発生はゼロにはなりません。

現代の建物ですら、ひとたび火災が起これば大きな被害が発生するのですから、当時の建物の建築や防火設備では、被害を極限するのはまさに至難だったでしょう。

火災はもちろん発生してほしくない事象ですが、こうして碑が市街地に残っていることで、かつてそのような出来事があったことを知ることができました。

そしてこのような経験を経て、どのような取り組みや警戒が必要であるのかを現代に伝えてくれているように感じますね。

 

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●施設情報

■施設名:「鎮火之碑」※中央児童公園(ふるさと小公園)内
■住所:〒067-0013 北海道江別市3条3丁目17
■地図:

 

 

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