こんにちは、えぞまち歴史部です。
北海道には開拓の歴史があり、各地に開拓時代の史跡や資料館などがあります。
開拓のために北海道に入植した人々は、もちろん覚悟を持って来たのでしょうが、それでも開拓時代の北海道での生活は過酷きわまるものだったことは色々な記録にも残っています。
そんな開拓時代をしのぶ史跡のひとつが、江別市指定文化財「千古園」です。
スポンサーリンク
「千古園」とは?
千古園は、江別市東野幌にある庭園(住居跡)です。
ここにはもともと、「関屋孫左衛門」という方の屋敷の一部だった場所なのですが、関屋孫左衛門氏は、江別の開拓に貢献した人物で、民間開拓団体「北越殖民社」の社長でした。
「北越殖民社」という名前は、設立された当時置かれた本社の新潟県長岡町坂ノ上町(旧長岡藩士三島億二郎宅)、「越後」の地に由来しているのでしょう。ちなみに、関屋孫左衛門氏も新潟県刈羽郡新道村の出身です。
北越殖民社は、明治19年に北門開拓の理想を持った大橋一蔵氏が率いる越後の農民が江別太に移住して開拓を事業としました。
当初は十七戸であった入殖民も、明治23年には400を越えたそうです。
その後、関屋孫左衛門氏が2代目社長となり、江別、浦臼、音更に「小作制大農場」をつくり発展してきたという経緯があります。
さて、北越殖民社と関屋孫左衛門氏の関係については以上に解説したところですが、時代は進み、大正7年、野幌の人々がこの地の開拓の労苦をしのび、この関屋孫左衛門氏の屋敷の土地の一部に留魂碑や茶室を備えて公園として整備したものです。
留魂碑については、関屋孫左衛門氏の徳をしのんで「留魂」と刻んだ碑を設置したもので、氏も大層喜んだのだそうです。
「千古園」には何がある?
こちらが先に解説した「留魂」の碑ですね。
また、こちらは昭和45年に開拓80年の式典が行われたのちに、昭和47年に「野幌報徳会」によって立てられた碑のようです。
このほか、園内各所にお地蔵様が並んでいます。
お地蔵様にはそれぞれ番号がふられているので、散策をしながらお地蔵様めぐりをするのもよいかもしれませんね。
スポンサーリンク
こちらは「山口翁頌徳碑」と書いてあります。「山口翁」とは、関屋孫左衛門氏の次男で、1933年に殖民社の社長となった人物、「山口多門次」氏ですね。
こちらは「土田金蔵」氏の頌徳碑。
土田金蔵氏は、山口氏・関屋氏を補佐した人物です。
この庵が茶室「道庵」です。関屋孫左衛門氏が晩年、詩作をして過ごされた場所でもあるそう。残念ながら、訪問時は内部は立ち入り禁止となっていました。
園内は木々が巧みに配置されており、美しい庭園となっています。茶室「道庵」のほかにも東屋があり、散策中に休むこともできます。
「キタコブシ」をはじめとした、江別市保存樹木も見学することができます。
スポンサーリンク
施設情報
◯施設名:千古園
◯住所 :〒069-0822 北海道江別市 東野幌375番地
◯URL :https://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/soshiki/toshikensetu/3137.html
◯地図 :