こんにちは、えぞまち歴史部です。
札幌にも歴史スポットが数多くありますが、えぞまちでは以前に、「山鼻地区」の屯田兵の歴史を展示している「山鼻屯田記念会館」と「山鼻墓地跡」を訪れ、記事として紹介しました。
この近辺は屯田兵の歴史の中でも、記録や史跡となっている場所が多いなと感じます。
さて今回は山鼻地区の開拓の歴史スポット第2弾として、「山鼻兵村開設碑」について書いてみようと思います。
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山鼻兵村開設碑
以前に訪れたこちらの「山鼻屯田記念会館」。1階に飲食店が入っているほか、外観もおしゃれなので目立ちますよね。
この建物の斜め向かいに、「山鼻公園」という公園があります。
この「山鼻公園」は、かつて開拓時代に、山鼻兵村の中隊本部があった場所なのです。ちなみに、山鼻公園の真向かいには「山鼻小学校」がありますが、この「山鼻小学校」は、屯田兵の練兵場のひとつであったようです。
現在この場所は、子どもたちが遊ぶ普通の公園のように見えるのですが…
公園の中央には、「どどーん!」といった効果音が似合いそうな迫力で、「山鼻兵村開設碑(山鼻記念塔)」があります。
この碑の正体は…?
「碑歴」と書かれたパネルには、山鼻兵村の開設にかかわる歴史が記載されています。
現在では、公園の周囲は大きな道路があり、マンションが立ち並ぶ住宅街。しかし、当然といえば当然なのですが、山鼻兵村の兵屋が完成した明治9年前後は、「うっ蒼とした原始林と多くの野獣の遠吠えが聞える」という様子だったのですね…!
こちらは別のパネル。明治9年当時の山鼻地区に入植した屯田兵は240戸との数字が先のパネルにも記載されているのですが、ここには東北諸藩のうち、「青森・秋田・鶴岡・宮城・岩手」の5県から入植したという旨が記載されていますね。
また、石碑についても説明があります。やはりというべきかなんというか、石碑は「札幌軟石」製!やはり興味を持って探してみると楽しいですね。
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公園の一角には別の「碑」も…!
さて、公園中央には「山鼻兵村開設碑」が鎮座しているわけなのですが、この公園の石山通側の一角には、ぽつんと別の「碑」があります。
この碑は、「赤い靴 はいてた 女の子…」という歌の「女の子」の両親が一時期この山鼻地区に住んでいたというエピソードから建立された「赤い靴 歌碑」。
「あの歌、その後女の子はどうなったんだろう…?」
「どうして女の子は、”連れられて行っちゃった”んだろう…?」
と、気になっていたという方も多いのではないでしょうか。
この「赤い靴 歌碑」については、過去にえぞまちで訪れ、記事にしています!
ぜひこちらも合わせてご覧ください!
施設情報
施設名:山鼻兵村開設碑(山鼻公園)
住所 :〒064-0914 北海道札幌市中央区南14条西10丁目2
地図 :
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