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【歴史部】<江別市>「屯田兵第三大隊本部跡(火薬庫)」は現存する唯一の”煉瓦造り”な屯田兵施設!

 

こんにちは、えぞまち歴史部です。
江別市というと、小麦製品、上川丸、えべチュンなど魅力がたくさんある場所なのですが…やはり「煉瓦(レンガ)」もその中のひとつに数えないわけにはいきません。

江別市には煉瓦造りの建物がたくさんありますが、今回はその中のひとつ、「屯田兵第三大隊本部跡(火薬庫)」を訪れました!

 

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「屯田兵第三大隊」って?

 

「屯田兵」と一口に言っても、やはり「兵」である以上、屯田兵もまた司令部があり、いくつかの「隊」に分かれていました。

北海道に最初に入植した屯田兵は、1875年(明治8年)の「第一大隊第一中隊」(札幌郡琴似兵村)でした。

 

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札幌郡江別兵村に屯田兵が入植したのは1878年(明治11年)のことで、このときの江別兵村は「第一大隊江別分隊」という扱いでした(10戸)。

その後、1882年(明治15年)には、琴似を第一・第二中隊として、札幌山鼻を第三・第四中隊として再編成されました。

 

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さらにそれから2年後の1884年(明治17年)には琴似を第一中隊、山鼻を第二中隊、江別・篠津を第三中隊に再編成されました。ちなみに、このとき江別の中でも札幌寄りの札幌郡野幌別兵村は、第一大隊第四中隊という扱いでした。

 

後に、1887年(明治20年)、江別・篠津の第一大隊第三中隊が、第三大隊第一中隊に、野幌の第一大隊第四中隊を、第三大隊第二中隊と再編成されました。つまり、江別・篠津・野幌で札幌の大隊から分離され、第三大隊が編成されたということですね。

 

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江別神社にある「屯田兵第三大隊本部跡(火薬庫)」とは?

 

さて、こうして編成された第三大隊ですが、この第三大隊本部は江別市萩が丘、現在の江別小学校のある場所に置かれていました。今回訪れたこの「火薬庫」は、大隊本部の附属施設として明治十九年に建てられたものです。

 

もともとは、現在この火薬庫がある場所に向かって背中側にある江別小学校(現在は跡地)の体育館付近にあったとされていて、周囲には土塁が盛られていたとのこと。やはり火薬庫だからでしょうか。

 

第三大隊はその後明治二十四年に、滝川に本部を置く第二大隊の配属となり、第三大隊本部も役割を終えた後は火薬庫とともに移築されていたのですが、昭和9年、失火で大隊本部は焼失、この火薬庫だけが残ったとのことです。

 

 

この火薬庫は、唯一現存する煉瓦造りの屯田兵関連施設とのこと。移築されたものとはいえ、美しい姿が目を引きます。扉は火薬庫らしさを感じる頑丈そうなつくりですね。

 

 

裏手に回ると窓が見えます。

 

 

軒の部分。レンガが縦と横に組み合わさっていて、これも美しいですね。
(※内部は見学できません。残念!)

 

 

目立たない場所にある史跡ですが、屯田兵施設のひとつとして重要な文化財となっているのです。

●施設情報

◯施設名:屯田兵第三大隊本部跡(火薬庫)

◯住所 :〒067-0071 北海道江別市萩ケ岡17

◯URL  :https://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/site/kyouiku/2922.html

◯地図 :

 

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