こんにちは、えぞまち歴史部です。
歴史遺構には、縄文時代のものやアイヌのもの、開拓時代のものなどがあり、それぞれに違った趣がありますね。
そんな中、北海道内でも比較的注目度が高いのに、「歴史スポット」としてあまり大々的に紹介される機会が多くないのが「太平洋戦争時代」の遺構です。
えぞまちでは過去に、苫小牧市元町の海岸沿いにある「元町トーチカ」を訪問し、記事にしました。
元町トーチカは、住宅地の只中にあり、特に周りになにかあるわけではないのですが、入口は封鎖されており、中に入ることはできませんでした。
しかし、今回訪れたトーチカは…?
苫小牧市植苗にある「植苗トーチカ」
さて、先に紹介した「元町トーチカ」の記事でも紹介したのですが、一応「トーチカ」とはなにかについて復習しておきましょう。
トーチカというのは主にコンクリートなどで作られた「掩体壕(えんたいごう)」のひとつです。つまり中に兵隊さんが入って、身を守りながら監視したり攻撃をしたりする小陣地ということですね。
北海道内には、主にこの苫小牧~勇払~太平洋側の道東各地に、太平洋戦争時代のトーチカが数多く残っています。
…なのですが、何らかの事情があるのか、大々的に「遺構」として活用されているとは言い難いですね…。
こうした遺構の存在は、歴史的な是非や善悪という視点ではなく、「遺構」として見学場所にしたりといろいろ活用してみてほしいなどと勝手に思っています。
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「植苗トーチカ」に潜入…!
さて「植苗トーチカ」はどこにあるかというと、苫小牧市植苗、勇払川の北西方面にあります。植苗駅よりは沼ノ端駅方面、ゴルフクラブのすぐ近くですね。
ただこの場所、たとえば前回の「元町トーチカ」のように、住宅街の只中にあるわけではなく、大きな道路沿いにあるわけではありません。
周辺は草木生い茂る、まさしく森林ですので、夏はまさに藪漕ぎとなってしまうかもしれません。(一応、道らしきものはありますが…)
ということで今回は草木に行く手を阻まれない、冬に訪問しました…!(雪漕ぎになりましたが)
さて、前置きが長くなりましたが、つるつるの凍結&ズボズボ足が埋まる雪道を乗り越えて…とうとう見えてきました!これが「植苗トーチカ」です。
歩いている側からは小さな窪みに見えたトーチカの中央部分にあるのは「銃眼」。ここから外を覗いたり、射撃したりするわけですね。
近くに寄ってみると、意外と広いです。というのも、ここは41式山砲という大砲が配備されていたのだとか。ただ、(当然ですが)こちらは入口ではなく、敵が攻めてくる側ということになります。
内部は…?
さて、トーチカを発見して銃眼を見れただけでも驚きではあったのですが、これだけキレイに残っているトーチカであれば、内部を見てみたい…!と思うのも人情ですよね。
そこで、雪山を登って裏側に…裏側に…(腰まで雪に埋まりながら)回りました!
こちらが裏側(入口)から見た植苗トーチカ。入口は半分ほど雪に埋まってしまっていますが、ここから中を覗けそうです!
中を覗いてみると…おお!葉っぱがいくらか入り込んでいますが、思ったよりもキレイに残っています。
植苗トーチカを含めて、このあたりのトーチカ群が建造されたのは1944年の夏ごろからとのことなので、数年程度の差はあると思うのですが…すでに80年近く経っているとは思えません。
さて、内部にスマホを差し込んでみると、先の「銃眼」は正面にぽっかりと見えます。そして手前側には、左右にお部屋があることがわかりますね。
これがその小部屋。なにか残っているわけではありませんが、どうやら弾薬庫だったようですね。
さらに内部にスマホを入れて、銃眼の左右上に、ちょっと黒っぽい四角いものが見えるのがわかるでしょうか…これは換気口だったようですね。
銃眼(砲眼)のところに実際に山砲が配備されていたとしたら、本当は「駐鋤溝」という溝を掘って大砲を固定するということが行われるようですが、ここにはその痕跡はないようです。
実際に使用される前に終戦となったからなのでしょうか。
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おわりに
さて、今回は苫小牧市の太平洋戦争時の遺構、「植苗トーチカ」に潜入してまいりました。
このような遺構がせっかくこれだけキレイに残っているのに、興味のある人しか訪れないというのは本当にもったいないですね。
苫小牧市内などの学校では、平和教育の一環としてこれらのトーチカを巡ることもあるようですが、できるだけ活用の方法を見つけてほしいですね。
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施設情報
◯施設名:植苗トーチカ
◯住 所:苫小牧市植苗(詳細省略)