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【歴史部】<札幌市>「とよひらふるさと再発見」探訪!定山渓鉄道跡・室蘭街道と豊平発展の歴史

こんにちは、えぞまち歴史部です。


これまでえぞまち歴史部では、特に建物や碑が残っているわけではないものの、街中にある「パネル」にも注目してスポットを訪れてきました。

すでに建物は存在していなくても、その場所にパネルが設置されているというのは趣深いものですね。

さすがに復元した建物を設置するのは難しいと思うのですが、何かしら最新技術と組み合わせて活用してみてほしいなどと勝手なことを思っていたりします。

さて、今回は、豊平区にある複数のパネル「とよひらふるさと再発見」のパネルを巡回してきました。

このうちいくつかは、もうGoogleマップでもわざわざ検索しないと出てこないようになってしまっていたので、これはえぞまちの出番かもしれない!と思い記事にしてみたのです。

 

 

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定山渓鉄道跡(最初の豊平駅)はこんなところに!

 

 

まずはこちら、「定山渓鉄道跡(最初の豊平駅)」のパネル。
このパネル、どこにあるかというと…「東光ストア 豊平店」の外壁に埋め込まれています!※東光ストアさん、懐が深い!

 

定山渓鉄道については、かつての苗穂駅から定山渓までを結ぶ鉄道で、木材・鉱石・石材のほか、温泉を訪れる観光客の輸送にも使われていた鉄道でした。

 

定山渓鉄道については、こちらの記事でより詳しく解説しています!

 

www.ezomachi.com

 

この定山渓鉄道の中でも、豊平駅は1918年(大正7年)に開設され、(集積駅としての意味での)ターミナル駅として活躍していました。(北海道鉄道東札幌駅・苗穂駅までの乗り入れ、国鉄千歳線経由・札幌駅まで乗り入れ)

 

この場所にあった初代駅舎は1929年(昭和4年)まで利用されていました。駅舎内は、木の椅子が置かれた一般用待合室と、布張りの貴賓用椅子が置かれた待合室との2種類があったそうです。

 

また、1943年(昭和18年)ごろには、月寒東にあった「北部軍防空作戦室」から、豊平駅までの地下道が掘られていたとの証言があるようです。(崩落のため現在は立ち入り不可)

 

開通していたのかは不明ですが、かなり大規模な地下道ですね…!

 

豊平駅前今昔と室蘭街道に豊平発展の歴史が!

 

 

このパネルから36号線側に歩くと、「豊平駅前今昔」という別のパネルがあります。

 

ここでは、豊平駅と豊平地区の繁栄の歴史が記載されています。そして、ここで「室蘭街道」という名前が登場します。

 

室蘭街道」というのは、このパネルにもあるように安政4年(1857年)に開削された、札幌越新道、星置-島松間のルートのこと、開拓時代初期は、現在の札幌市立月寒小学校あたりから札幌第一高等学校近辺~福住を通り、千歳市まで至る「鹿道」と呼ばれた狩猟ルートのひとつでした。

 

このルートは、従来の青森~函館~札幌という「札幌本道」と呼ばれる西洋式馬車道とは別ルートとなる、室蘭~札幌間の現国道36号のルートだったのです。

 

現在の36号ルートで室蘭から北上して札幌に至る、いわば「玄関口」として豊平が発展してきたという歴史、そして時代が進むにつれ、定山渓鉄道や豊平駅がこの豊平の発展を支え、役割を終えたという歴史が、この2枚のパネルをもとに調べると腑に落ちました。

 

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「土木学会選奨土木遺産『弾丸道路(札幌・千歳館道路)』

 

 

その隣には、「土木学会選奨土木遺産『弾丸道路(札幌・千歳館道路)』」というパネルがあります。実はこれも国道36号の歴史に関わるパネルです。

 

このパネルにある「弾丸道路」という言葉は、札幌市豊平から千歳町(当時。現在の千歳市本町)までの間の34.5kmの道路のことを指しています。

 

これは、先のパネルのように「ルートとして確立した」ということが重要なのではなく、「自動車主体の道路」として、戦後始めて北海道に建設された道路である、ということ、そして、たった13ヶ月の工期でアスファルト舗装・凍上対策を施した近代的な道路建設を行った、ということがポイントです。

 

現在ではアスファルト舗装で車が通れる道路が当たり前ですが、こうした本格的な道路が北海道中に血管のように建設されたのは、やはり戦後の大規模な施工がなければ実現不可能だったものなのだなあ、と改めて感じます。当然といえば当然なのですが。

 

「弾丸道路」という言葉の由来には、パネルにあるとおり

 

・米軍の弾丸運搬に使われた道路
・弾丸のような突貫工事だった
・弾丸のように早く走れる

 

という説があるようです。

 

個人的には、2番目か3番目であってほしいとぼんやり感じました。

 

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おわりに

 

今回のパネル探訪は、このようなパネルが残っていてくれてよかった…!としみじみ感じた探訪でした。

 

現在に残る建物がなくても、こうしたパネルの情報を手がかりとして、地域の歴史に思いを馳せる機会が生まれると感じます。

 

…みなさんもパネル探訪、やってみませんか…?

 

施設情報

 

(商業施設にあるパネルを訪れる際は、周囲の方やお店の方へのご配慮をお願いします)

 

施設名「定山渓鉄道跡(最初の豊平駅)」パネル
住所:〒062-0906 北海道札幌市豊平区豊平6条9丁目1−18(東光ストア豊平店 外壁)
地図:

 

施設名「豊平駅前今昔」「弾丸道路」パネル
住所:〒062-0904 北海道札幌市豊平区豊平4条8丁目2(道路上の中洲状の場所にあります)
地図:

 

 

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