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【歴史部】<札幌市>もともとは何の施設?中島公園の「豊平館」に行ってきました!

こんにちは、えぞまち観光部です。札幌市中心部にほど近い場所にある大きな公園といえば、大通公園と中島公園ですよね。

中島公園は春は桜秋は紅葉、その他にも様々なイベントで活用される場所ですが、この公園内にも様々な施設があります。

今回のこの記事ではその中のひとつ、「豊平館」についてご紹介します。

 

 

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そもそも「豊平館」とは?何のための施設だった?

 

 

「豊平館」は、中島公園内にある西洋式の歴史的建造物です。中島公園内を通っていると、白と水色のオシャレな外観の建物が印象的で記憶に残りますね。

この「豊平館」は1880年(明治13年)に完成した建物で、もともとは旅行者のための宿泊施設(洋風ホテル)として作られました。

ただし、豊平館は現在の場所ではなく、現在では札幌市民ホールのある北1条西1丁目に建造されていました。

 

 

完成直後の1881年の明治天皇の北海道行幸の際に行在所(あんざいしょ)として活用されました。

 

 

※ちなみに、すぐ近くにある市電駅名に「行啓通(ぎょうけいどおり)」という名前があります。これはこのときの明治天皇の北海道行幸の際に、山鼻屯田兵の様子をご覧になった際の経路を、後年(明治44年 - 1911年)大正天皇が行啓で通られたことに由来しています。

ですので、「行啓通と豊平館といえば天皇陛下が滞在した…」と連想するのは正しいのですが、行啓通を通って中島公園の豊平館に泊まったわけではないのですね。

 

行幸・行啓の際の資料も展示されています。

 

大正~昭和時代の豊平館


大正時代に入って札幌が大きな町となり、1918年(大正7年)には北海道博覧会などの大きなイベントも経験しました。その中で豊平館は引き続き滞在場所として活躍しましたが、収容能力の不足が指摘されるようになりました。

そこで1927年(昭和2年)豊平館北側に「新館」が建設され、「豊平館」と「新館」を合わせて「公会堂」と呼ばれ引き続き活用されました。

太平洋戦争中には豊平館は陸軍北部軍が占有し、終戦後は進駐軍に接収され、戦中~戦後に到るまで営業を行わず軍隊が駐留する建物となっていました。1947年10月に、豊平館は進駐軍の手から札幌市に戻り、公民館(のちに札幌市民会館)として活躍することになりました。

 

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内部の様子です。シャンデリアや椅子・扉など上質でオシャレな印象を受けますね!

 

中島公園に移築された豊平館


旅行者の滞在場所として、軍隊の滞在場所として、そして公民館としてと多方面に活躍した豊平館でしたが、1956年に札幌市で市民会館を改築することとなりました。このとき、豊平館は完成から76年と、すでに築年数を重ねすぎていました。このため、新しい建物が建てられることとなり、豊平館は解体されることとなったのです。

 

 

しかし豊平館は貴重な建築物として、ただ解体するだけではなく移築して保存しようという意見が寄せられ、1958年(昭和55年)の5月から、現在の場所に移築されたのです。

 

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移築後も結婚式場や美術館として活用されたり、創建100年には記念式典なども行われました。しかし現在ではそれらの役目は終え、豊平館は中島公園で市民の交流の場として穏やかに佇んでいるのですね。

 

 

中島公園を訪れたときには、ぜひ豊平館内部も見学してみてくださいね。!

 

www.s-hoheikan.jp

 

地図

 

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清水勧業 HINOKI ゆらぎの灯 灯の樹 SKK1712H-105 豊平館

 

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