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【歴史部】<札幌市>休憩所としての機能美!札幌中心部に佇む「清華亭」を訪れました。

札幌中心部にある大切な歴史スポット!


こんにちは、えぞまち歴史部です。
歴史的建造物や遺跡など、「歴史スポット」と呼ばれるようなものは、維持管理に大変な費用と労力がかかるものです。
そうした理由から、街の発展とともに碑やパネルだけが残され、建物そのものは解体され失われてしまうこともありますね。

さて、今回えぞまちで訪れたのは、札幌市中心部、札幌駅のすぐ近くにある歴史スポット「清華亭」という建物です。

清華亭とは?

 

「清華亭」は、札幌市北区北7条西7丁目にある建物です。札幌の文字通り「中心地」といえるJR札幌駅西口からは徒歩で5~10分ほどと、すぐ近くにあります。北8条通りを挟んで向かいは、北海道大学の敷地です。

 

 

さて、この「清華亭」は、1881年の明治天皇北海道行幸のために、1880年に作られた建物です。1881年の行幸というと、多くの人が思い浮かべるのが、現在は中島公園に移築された「豊平館」でしょう。「豊平館」は、このとき行在所として作られた建物で、当時は北1条西1丁目、現在では札幌市民ホールのある場所に建築されました。

 

※「豊平館」については、えぞまちでも訪問して記事にしています。

www.ezomachi.com

 

「豊平館」はこの記事にもあるように「行在所」(…一時的な宮殿、という意味ですが、実用面では滞在される場所という意味ですね…)として建築されたのですが、「清華亭」は行在所ではなく、「休憩所」として建築されたものだったのです。

 

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1881年明治天皇の行幸はそんなに大変だった?

 

「清華亭」の建築が、1881年の明治天皇行幸の際の休憩所として使うために建築されたと聞くと、わざわざ休憩所を作るなんて!?と思ってしまいそうなものですよね。

ところが、この1881年の明治天皇北海道行幸はなかなか大変な道のりでした。

まず、本州から北海道へ渡るために明治天皇が青森県に入ったのは明治14年(1881年)8月27日のことでした。
8月29日に、御召艦「扶桑」に乗船して青森港を出港、小樽港を目指しました。しかし、この日激しい暴風雨が吹き荒れていました。扶桑は出港後、津軽の人々が乗った漂流船を暴風雨の中で発見し、救助を行うなどしたため、到着が3時間も遅れることとなりました。

さて、遅れて到着した扶桑でしたが、小樽に入港後、「煤田開採事務所」でお休みになり、その後午後6時から、特別列車で札幌に向かわれました。

小樽~札幌間は鉄道で結ばれていたものの、札幌市内は現代とはまったく異なり、道の舗装も限定的、生い茂る草木を人力で切り倒して少しずつ少しずつ開拓を進めている段階でした。

 

 

パネルにある「清華亭」創建時の写真や絵図で見ても、周辺の様子がよくわかります。

このような状態の札幌市内を、馬車であちこち行幸するのはやはり体力を消耗するものだったでしょう。
現代のように、疲れたらコンビニやカフェで一休みというわけにはいかなかったわけですね。

ですので、休憩所として「清華亭」を建築するというのは、実はそれほど贅沢な話でもなかったわけですね。

ちなみに、明治天皇が実際に清華亭を訪れたのは、行幸3日目の9月1日のことで、午後2時からの札幌農学校での理化学実験、そして博物館の展示をご覧になった後、午後3時10分ごろから清華亭を訪れました。

ここで、千島樺太交換条約によって、江別の対雁(ツイシカリ)に移住した樺太アイヌ移民の歌・踊りをご覧になったとのことです。

 

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清華亭の特徴

さて、このような経緯で建築・利用された清華亭でしたが、建物自体はそれほど派手には見えません。
しかし、細かく見ると実は様々な特徴があります。

 

内部に入ってまず気づくのは、「暖房設備がない」ことです。
同時期に建築された「豊平館」には、館内に重厚な意匠の暖炉が6基ありますが、清華亭にはありません。

 

「豊平館」には暖炉があります。

これは行在所としてではなく、あくまで「休憩所」として建築されたこと、そして行幸の時期が8月~9月という時期であったことが影響しているのでしょう。
つまり逆に考えれば、清華亭はこの行幸以降、同じ季節の同じ目的でなければ二度と使わないという想定だったのかもしれません…。

 

さらに、「和洋折衷建築」という特徴もあります。

 


入口から中に入ると、正面には和室があり、そこへ洋室が接しています。

 


和室側には床の間・縁側などの「和風」のテイストがあるのですが、洋室への扉は障子ではなく洋風の扉となっています。

 

 

そしてこの扉、お気づきの方も多いかと思いますが、「取っ手の位置が低い」です。
これは、和室側から「座って扉を開ける」ことを想定しているためです。

 

 

洋室側の「シャンデリア」を写した画像なのですが、実はこれはシャンデリアではなく、その基部にある「天井飾り」を写したものです。「桔梗」の彫刻ですね。このような意匠のある天井飾りは、旧永山武四郎亭や豊平館にも見られるようです。

 

限られた工期や資材・人手の中で、明治天皇の休憩所を作らなければならないという難しい問題に対して、「必要な機能に限定して、かつ美麗さも備えた建築物」として作られた清華亭、まさに「機能美」という感じを受けます。

 

 

なお、豊平館や、観光スポットとして知られている「時計台」は、移築されているのですが、この「清華亭」は建築時と同じ場所に残っているとのことで、これもまた貴重な建造物ですね。

 

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おわりに

今回訪れた「清華亭」では、明治天皇行幸の際の休憩所としての機能に特化して、必要な機能を十分に満たしながら美しい建築物にするという努力が垣間見えたように思います。

 

 

また、この「清華亭」が存在する、ルイス・ボーマーが手掛けた庭園「偕楽園」についても、後日記事にしてみたいと思います。

施設情報

 


○施設名:清華亭

○住所 :〒060-0807 北海道札幌市北区北7条西7丁目

○URL  :清華亭

○地図 :

 

 

 

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